J.B‘LIFE

J.Bの日々連想的なブログです

happy birthday to me

「誕生日プレゼント、何がいいの?」

12月に入ってから数回、夫は私に訊いてきた

「ちょっと待って!」

そもそもクリスマスプレゼントに何が欲しいかも決まっていなかった

「夫は何が欲しいの?クリスマス」

「そうだなあ…」

二人とも欲しいものは思い付かなかった

 

 

私は今日47歳の誕生日を迎えた

夫は56歳

この歳になってくると、捨てなきゃいけないものこそあれど、買わなきゃいけないものはほとんどない

 

20歳から30歳はお金がなかった

子供に楽しい季節の行事や誕生日を準備するのに必死で、クリスマスには160㎝のツリーをバーゲンで手に入れ、一年毎に飾りを増やしていたし、サンタクロースの存在を高校生になるまで信じられるよう演出に最大の留意を払った

チキンの丸焼きも作った

大きな靴下も手つくりした

サンタさんが食べるように枕元にミルクとクッキーも用意したし、フィンランドに手紙も書いた

私が本で見た欧米のクリスマスを模倣し、外国人の友人たちを招待したりもした

子供達の誕生日は公平に盛大に祝い、お正月はお節を手作りし、節分にはお面を作り豆をまき、お雛様も子供たちと手作りをした

七夕のには笹を飾り、筆でお願いことを書いた

夏には花火にプール、秋には地域のお祭りに参加した

 

 

でも、だから、1月の自分の誕生日はスルー

 

 

20歳から30代まで子育て中は非常に貧乏だった

なので30歳半ばになり、お金が入ってくるようになってからは、洋服・靴・バック、・アクセサリーを浴びるように買いまくった

ドイツ車も買った

結婚前のクリスマスにはヴィトンのバッグに財布にキーホルダーをプレゼントしてもらった

ヴィトンが好きだったわけではないが『ヴィトンを持ってるという安心感』が好きだった

食べ物も高級なものを欲した

ミシュランガイドを買い、スタンプラリーのように高級店を巡った

記念日、誕生日、クリスマス、等々

美味しかったけれど、そこまで味の違いがわからない私は「なんだかわからないけど美味しい」とはしゃぎまくっていた

 

砂漠に水を撒くように、いつまでも終わらない欲望なのかと思ったが、5年経ち40歳になる頃には憑き物が落ちるように欲望は消えた

たくさんの高級品はひと時私を満たしてくれたが、それは半年もすれば効力を失っていった

それらのモノたちは『高かった』という自分の思いも含め、処分するのに苦労した

ランディアに売り、メルカリで売り、数を増やさないように工夫し、満足度を上げるために買うものの単価を上げ…

「物をたくさん所有するのはたくさん処分しなければいけないという事だ」

私は愛着があるものを切り捨てる苦労を知り、ますます物を買うことに慎重になっていった

 

ここ数年は歳も忘れていた

「誕生日?もうめでたくもない歳だもんな…」

46歳なのか47歳なのか、時々自分でも分からなくなる

正直、どっちでもいい

何歳だろうと私は私だし、欲しいものもないし、十分満ち足りている

自分なんてどうでもいい

子供達が大人になるまで責任をもって育てられれば死にたいと思っていた命だ

誕生日なんてどうでもいい

むしろ自分の誕生日にお金をかけるなら子供たちのことにお金を使いたい

そう思って生きてきたのだ

 

でも、気が付いたら

 

娘は自活して3年目だ

息子は今年4月に就職で家をでる

 

「自分を祝おう」

唐突にそう思った

誰かに祝ってもらうのではなく、誰かの祝福を待つのはではなく、自分で自分を祝ってみよう

出来心のように、ひょいとそんなイタズラ心が湧いた

 

「牛かつを食べてみたい」

一日目の希望はすぐに見つかった

ここ数年、食べてみたいけど食べてなかった牛かつを食べようとスマホで検索をかけた

県内には2時間かかる場所に1件ヒットしただけだったのであきらめようかと思ったが、5年前にオープンした車で10分の駅ビルにその焼き肉店は出店していた

張り切ってランチ時に店に行くと、店内には誰もいなかった

5年前にオープンした駅ビルに初めて自分が入ったという不思議な充実感と共に、レアなカツをほおばった

 

「次は何をして祝ってほしい?」

牛かつの帰り道から私は考え込んだ

高級なプレゼントも食事もいらないとしたら、私は何が誕生日に欲しい?

何度も自分に訊いたが、なかなか答えは出なかった

 

ただ、何度も問うなかで気が付いたことがあった

幼少期の誕生日、祝ってもらった記憶がなかった

学童期のクリスマスとお正月、私の実家にホールのケーキはなかった

「クリスマスがあってお正月があってお年玉もらっているんだから、誕生日プレゼントなんて贅沢」

母にそう言われていたし、父は当然そのように考えていたんだろう

そもそも、クリスマスプレゼントもなかったし、ケーキがあったとしても父親が卓袱台返しをしてしまうから、まともに食べられたことはない

 

そんな家庭に育つ中で本の世界に没頭した

お話の中の幸せな家庭や暮らしに憧れ、私は夢を食べて生き繋いできたのだ

 

「私はお母さんとして生きていた20歳からの日々、してほしい誕生日を子供たちに投影してきたんだなぁ…」

 

当たり前のように用意されるプレゼント、母の特別な手料理、ホールのケーキ

用意されると知っていながら、知らん顔をして待つ私

そわそわしながら、そしてもらうのが当たり前の愛情たっぷりのプレゼントや料理

それを我儘な態度で多少ケチをつけながら満足そうにもらう私…

そういう日常が欲しくて、そういう愛情が欲しくて、私はおままごとのように子供達にそんな日々を造った

「本当に欲しかったものは、そんな誕生日だ…!」

 

不器用な愛情をあふれるほど当然のごとくもらいながら、その中で溺れたかった

「一周回ってこれか…!」

 

それに気が付いて、私はしんどくもあったけれど笑いだしたいような心境だった

ママをしている日々は幸せだった

お伽話の中のママをしていられる幸せは確かに物凄い幸福感で私を包んでくれたけれど、それは期間限定の設定で、私はもうママだけの役割ではいられない

 

自分自身に戻らなくてはならない

 

私は夫に指示を出した

このケーキを○○で注文し受け取ること、○○でオードブルを注文し受け取る事、理由は私が子供時代に味わえなかった誕生日を味わいたいからだが、夫には手料理は無理だろうし私が料理を作ったら私の希望する誕生日でなくなることを伝えた

「わかった!!!」

夫は人の気持ちを想像することは苦手だ

でもきちんと伝えればそのまま受け取ることができる

 

 

言わないでわかってくれるは幻想

そこまで我儘をいう幼稚さはもうなくなった

幻想でも幸せが欲しいなら言葉に変換する努力が必要だと、大人になった私は思う

 

私は幸せだ

私は幸福なまま、さらに幸せを貪りたい

だから私は自分で自分を祝う

私を愛でながら、よくやったとほめてあげたい

もしかしたらそれを父や母にしてほしいのだろうなとも薄々気が付いてはいるが、手に入らないものを追いかけて傷ついて消耗するのはもう飽きた

 

私は私を愛してくれる人たちにに囲まれながら、私を大事にしていこうと思う

happy birthday to me

よく頑張ってきたね

これからも応援してるから、無理せずがんばれ

happy birthday to me