J.B‘LIFE

J.Bの日々連想的なブログです

カウンセリングにインスパイアされた私はマチルダとフィーチャリングして人生をRPGする ②

ロナルド・ダールの「マチルダは小さな大天才」は(原題:Matilda)は、1988年出版されたイギリスの作家ロアルド・ダールによる児童文学作品だ

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 幼い少女マチルダは、文学と数学に対する天才的な頭脳を持っていたが、両親はそんな彼女を馬鹿扱いし、学校にも行かせず、ことあるごとに怒鳴り散らして辛く当たるばかりだった。マチルダは負けじと泣き寝入りすることなく、いたずらを繰り返しながら、抑圧された日々の暮らしに耐え続ける日々を送っていた。

やがて6歳になったマチルダは、小学校に遅れて入学する。しかし、そこは極端な子供嫌いで暴力を用いて子供たちを支配する鬼のような女校長ミス・トランチブルが牛耳る地獄のような場所であった。

チルダのクラスの受け持ちである女性教師ミス・ハニーは、マチルダの天才ぶりに驚愕し、より上級のクラスに進級させようとするが、トランチブル校長に拒否され、マチルダの両親に娘の才能を伝えようとするが、結局とりあってもらえない。そんな中でも2人は絆を深め、生徒と教師の立場を越えて急速に親しくなる。

校長が授業を担当する受け持ちの日、マチルダの友達が、トランチブル校長の水差しにイモリを入れるが、マチルダが犯人と疑われてしまう。いわれのない冤罪に怒ったマチルダは、予期せず超能力を発揮してイモリの入ったグラスを倒して、校長に一泡吹かせる。

授業が終わった直後、そのことをミス・ハニーに打ち明けたマチルダは彼女の家に招待され、ミス・ハニーが意地悪な叔母に虐待を受けながら育った過去を明かされる。彼女の叔母は実はトランチブル校長であり、ミス・ハニーの父を死に追いやり、遺された彼女の家と財産を奪っていた。ミス・ハニーを救うため、マチルダは自身の超能力を訓練し、ある日校長をショックのあまり気絶させ、校長は翌日失踪してしまう。

その後、マチルダは最上級クラスに移される。それと同時に、彼女から超能力は失われる。

以来、マチルダはミス・ハニーの自宅を頻繁に訪れるようになり、楽しい日々を送るが、父親の中古偽装車販売が警察にばれたために、一家そろって海外へ高飛びすることになってしまう。ミス・ハニーと共にいたいと訴えるマチルダに対し、両親は何の関心も持たずにマチルダをおいて出て行く。

こうして、マチルダはミス・ハニーと共に幸せに暮らすのであった。

(一部ウイキペディアより引用)

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まあざっとこんな内容の児童書だ。

私は大人になってからこの本を読んだ。元夫の弟から「絵本のプレゼント」で毎月ランダムに送られてくる本の中にあったのだ。

「面白い本だな」「続編はないのかな」

そんな感想を持ちながら、うっすらとあらすじが記憶に残っていた。

 

そこまで思い入れのある本ではなかった。

しかし号泣しながらカウンセリングを終えた私が思ったのは先ずマチルダのことで、

「なぜマチルダは親に未練がないのか?」

「どうしてあっさり親と別れ、ミス・ハニーとの暮らしを選べたのか?」

という事だった。

 

私は今、素晴らしい仲間と家族になり、幸せに暮らしている。

私が定位家族にしたことは正しいことだとも思っている。

それでも頭のどこかで

(父の重い通りになってやりたい)

(兄や姉とどうやったら協力し合えるのだろうか?)

(私が彼らを辛い目にあわせているのではないか?)

との思いが消えない。

ムダな事、何度も繰り返しては辛い思いをしてきた事ばかりなのに、また父にすりよってみたくなる。

今度は大丈夫じゃないかという思いさえ浮かばないほど失望してきたのに、また期待したくなる。

 

子供の頃はずっと、父や母に自分の言葉を「わかってほしい」と思ってきた。

私が考えることや話すことを聞いてほしい、理解してほしいと思っていた。

でもそれはとっくに無理だと分かっている。

何度も伝えようともがき、そのたびに宇宙人を見るような眼で見られてきた。

分かりあえたことが一度もないのに、どうしてより硬直した関係性と老化した彼らと分かり合えるのか?

分かり合えるはずはないと重々承知していながら47歳の私は未練や罪悪感と闘っているのに、記憶の中のマチルダは、その部分で悩んでいる様子がなかった。

 

「マチルダは親の愛を求めたり、期待したり、失望したりしなかったのかな?」

カウンセリングから3日後、私は「マチルダは小さな大天才」を真剣に読み返した。

相変わらず魅力的なマチルダは、冷静に家族を観察し、大量の本を読み、彼女の人権を侵されたときは怒り、怒りを自分の中で鎮めるためにイタズラをしていた。

彼女のイタズラや読書は、彼女の精神状態を健康なまま保つ作用があったんだと思う。

彼女がやりすぎとも見える悪戯をしなければ、他者に怒りをぶつけず、自分に向かわせたら、彼女は精神を病んでしまっただろう。

大量の本に支えられ、自分の考えや感性は異常ではないと信じることができなければ、彼女は生きていけなかっただろう。

図書館に一人通うマチルダに、子供の頃の自分が重なった。

幼少期、うまく話せない私は一人で家中の本を黙って読んでいた。休日は一人で知り合いのいない教会学校の図書室に通った。小学生の時は図書館の本をむさぼり読んだ。友人もいなかったし、父に怒られない娯楽は読書だけだった。

残念ながら私は賢い子供ではなく、読書で知識を身に着けたわけではない。

私は本の世界に逃げ込んでいたのだ。

怒鳴り声や家族からのからかいから本の世界に飛び込めば、あっという間に楽しくて幸せな世界が待っていた。『はだしのゲン』でも『渡辺淳一』でも『子供のしつけ』が書いてある本でもよかった。何でも面白かった。

チルダは大人以上の知識と教養と味方を、私は違う世界があるという事を、本から吸収した。

 

読み返してみればマチルダも「お父さんも本を読んだらいいのに」と考えたり、「自分の両親が、正直で物分かりがよく尊敬できて頭がよかったら、どんなにいいだろう」といつもそう思っていた。

絶望しながらも知性が彼女を支え、論理のない世界に迷い込ませなかった。

チルダが迷わなかったのは知性を身に着けていたからだと思う。

 

カウンセリング後、私はしばらくマチルダと旅をした。

いつもマチルダのことを考えていた。

そしてふいに浮かんだのは、「しょうがない」という言葉だった。

 

両親のもとに生まれたのも、こうなったのも仕方がないのだ。

たとえるならば、このゲームは出発から理不尽だった。

 

他のプレイヤーが、鍋の蓋と棍棒と革の服を与えられているのに、私達は腰布だけ。

最初から上級者レベルのダンジョンに放り込まれたようなもの、多くの人は最期のラスボスに行きつかずにゲームオーバー。

MP・HPはどんどんあがるけれど、ゲーム途中で死ぬ確率の方が高い。

私やマチルダは抜け出してストーリーをクリアした。

そして最終的には強いプレイヤーになった。多くの人が挫折したダンジョンをクリアした。

だから振り返れる。

そして振り返りながら私は

「みんなずるい」

「どうして私は普通の装備を与えられなかったのか?」

「どうしてみんなが進むコースを選べなかったのか?」

と不平を言い続けている。

それでも、じゃあ元に戻って普通のダンジョンしたら今の私のHPが持てるかと言えばNO、それでもやり直すかと言われたらNOのなのに。

 

カウンセリング後しばらくしてから、私は夢をみた。

夢の中には背中に大きく穴の開いたセーターを着た、落ちぶれた父がいた。

もう私は悲しくはあったけれど心は乱れなかった。

乱れはしなかったが「私は欲しくない子供だったの?」と父に聞いていた。

その問いかけには父は答えず消え、父がいた場所には小さな小箱が置いてあった。

その中には小さなノートの切れ端のような紙があり、恐る恐る手に取ると

「あいしてた?」

と幼いころの私の文字が書いてあった。

 

冒険の最後にたどり着いた箱に中には、認めたくない、忘れていたはずの私の叫びが入っていた。

私はずっと愛されたくて、でもそれはとうに諦めていた。

だって小学生の頃にはとっくにわかっていたのだ。

私の愛と彼らの愛が、愛の概念が全く違うという事を。

父が差し出す愛は、お金を渡すことや侍従関係を意味し、私が欲しい愛は理解や労りだったのだから。

「欲しかったんだな…」

私は今だに両親に愛されてみたくて、でも無理だと知っていて、いまの私が今の住む世界に引き込めば父も変わるんじゃないかとか思っていて、でもそれは立場を変えた支配であって、結局は生きる場所が違う種類の人間同士なのだと…。

どうしてそんな関係なのに家族として生まれたかは分からなくて、出来れば何か意味を見出したかったけれどそんなものはなくて、ただこうなったという結果があるだけで。

私は自分の人生が不公平だと怒り、今の自分は強すぎるんじゃないかと罪悪感に苛まれていたけれど、そういう冒険のような人生しか選べなかっただけであり。

 

もしかしたらそれを宿命と呼ぶのかもしれないけれど、ずっと求めていないフリをしていた『もらえない愛を求めていたこと』を認めたら、すこし視界が開けたような気がする。

 

もうこのゲームに大きなダンジョンは残されてないと思う。

これ以上、私が欲しい愛をもらえないことを嘆いていても仕方ない。

仕方がなかったんだと思う。

私には、生まれた意味も価値も役割も分からないけれど、生きてここにいる。

幸せに生きているのだから、もうそれでいい。

 

父や母が死んだり、遺産相続があったり、小さなダンジョンは残されているけれど、もう高得点でクリアしなくてもいい。

充分に悲しんで、次のゲームに取りかかろうと思うから。

 

私もマチルダも、これからの人生が始まるのだから。